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この世界の片隅に|曽祖父母に思いを馳せる

2016年に公開され大ヒットした映画「この世界の片隅に」は、主役ののんさんの演技が素晴らしいと大評判です。見たい、見たいと思い続けてすでに2024年…ついに見ることができました。戦時下の人々の営みから見える当たり前の幸せが、コロナを経験した私たちにもリンクする部分があるのではないでしょうか。

ストーリーの舞台が広島。この後起こる悲劇が分かっているからこそ、そこにある当たり前な日常がより一層美しく見えてきます。

戦争そのものを悲劇的に描くのではなく、その状況下で人はふつうに暮らしていました。

目次

そこにあった日常

この映画では、戦争の悲惨さや辛さより、人々の営みがゆっくりと丁寧に描かれます。少ない食材を工夫して調理する姿や、近所のおばさんたちとの他愛のない会話。

正直私が思っていた戦時下の生活とは違いました。

ーーー当たり前がそこにもあった。普通がそこにもあった…。ーーー

人々は制限がある中でも適応し、うまくやり抜けていた。いつか終わる、いつか訪れる平穏な日々を思って。

そして終戦。人々はやるせなさや苦しさを抱えながらも、また日常へと移していく。

一見、淡泊で冷たい感じもするけれど、コロナを経験した私たちに通じるものがあると思った。あんなに行動や生き方を制限したのに、1日で大きく状況が変わる。昨日までの当たり前が今日もあるとは限らない。今日の常識が明日もそうだとは思えない。

その都度しなやかに自分を変えて、変化に合わせ、また大きな流れに乗っていく。人は強く、しなやかな生き物だと感じました。

食事のシーン

この映画には料理をしているシーンや食事のシーンがよく出てきます。

[c]こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
[c]こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

近所に生えている草花や野菜の皮なども、無駄なく上手に利用して楽しそうに調理をするすずさんがとてもかわいいのです。

先人の知恵を利用してつくった楠公飯(なんこうめし)は美味しくないらしく、みんな微妙な顔をするのもまた可笑しい。仕事に行くお父さんの頭が少し垂れているのもかわいらしい。

食事って私たちの体を作る大事なものなんだけど、こうやって家族で食卓を囲んで食べる当たり前も尊いものだと思えてきます。

あの当時にはよくあった

水平になった同級生の水原くんがすずの元を訪れます。その晩、周作さんはすずを水原のもとへ残します。死にゆく兵隊さんに最後のひと時を、ということなのでしょう。周作さんも水原くんがすずの好きだった人だとわかっての行動とはいえ、周作さん…辛すぎるよ…

こういった行動はよく戦時中の小説などにもよく出てきているので、本当によくあった話なのだと思います。まぁ、人の3大欲求ということなのでしょう。

祖母や母がよく「あの時にはそういうことはよくあった…」と、言っていたことを思い出しました。

「えーそんなのおかしいよ!」って思うことも、「あの時にはそういうことはよくあった…」という一言でそれ以上何も言えなくなったことを思い出しました。

これも「あの時にはそういうことはよくあった…」事象のひとつでしょう。

孤児をなんの戸惑いもなく連れ帰るのも「あの時にはそういうことはよくあった…」
自分の子供を失うことも「あの時にはそういうことはよくあった…」
愛する人を失うことも「あの時にはそういうことはよくあった…」

「あの時にはそういうことはよくあった…」その一言で蓋をした悲しみがいくつあるのだろうか。そうやってあの当時の人々は日常を取り戻して行ったのでしょう。この言葉の裏にある思いを考えると胸が苦しくなります。

さいごに

この映画をみて、率直な感想は「このままでは申し訳が立たない」と思いました。先人が一生懸命紡いでくれた命と守ろうとしてくれた平和な社会の先がこんな現代で申し訳ないと感じます。

右とか左とかそういう思想の話ではなく、人として凛と生きるというか、当たり前を大切にしながら日々を生きていきたいなと感じました。

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